2012年05月13日
~MP Memorial board~
俺達40代前半世代より、もう一つ上の世代の人達のサーフヒーローで、70年代前半に活躍したオーストラリアを代表するサーファー、「MP」ことマイケル・ピーターソンが2012年3月29日、60年の生涯を終えたとニュースが入ってきました。死因は心臓発作だそうです。

1952年に生まれたMPは1972年と1974年に全豪ナショナタイトルを獲得後、1973年から3年連続でベルズビーチのリップカールプロで優勝。
その他にもオーストラリアで開催された多くのイベントを制し、ラビット・バーソロミューなどと共にサーフィンの進化に多大な貢献をしました。
また、まだ未開拓だったブレイクが多かったオアフ島・ノースショアではリアルなバックドアを初めてメイクしたと言われています。
70年代前半で最も革新的なサーフィンを披露して国民的ヒーローにもなったMPでしたが、「MR」ことマーク・リチャードが現れ、プロサーキットが本格化してきた70年代後半にはコンテストを引退。
ヘロインを始めとした薬物依存に陥りサーフィンの世界からは姿を消した。
以上、一部インターネットまたは、サーフィンマガジンからの引用。
私TOもMPから多大な影響を受けたサーファーの一人なのです。
私がサーフィンを始めたのは、80年代前半のコンテストサーフィン全盛期。もちろん私も大会に勝つことこそがサーフィンだっ!
ってぐらいの感じで日々サーフィンに没頭していた。
当時の私は、大会で点数を出すために、いかに波のキワどいポジションに縦にボードを当て込めるかのみを意識してサーフィンしてました。
当然身に付けたサーフィンスタイルは、ピボットなターンのみ、レールをしっかり使ったターン系のサーフィンではありませんでした。
それを、身に染みて分からされたのがハワイの波でした。当時は毎年2カ月程冬のハワイのビッグウェイブにチャレンジしてたので、ボトムでもトップでもレールをしっかり使ったサーフィンの必要性を心と体で嫌と言う程わからされました。
要するに!ビッグウェイブや本物の波には、ごまかしのサーフィンは通用しないってこと。
それを分からされてから、ターン系の技のカービングやカットバックなどのベーシックな技を中心にサーフィンを一からやり直そうと思っていた。ちょうどその頃、サーフィン修行で行ったオーストラリアで一枚の写真に出会った。
その写真とはコレ! ↓

オーストラリアのサーフィンフリーペーパーの「トラックス」に、"MP"のこのカービングが見開き一面に載っていました。
これを見たとき体に電気が走る程の衝撃が走りましたね!
波に対してレールがビシッと食い込んでいて、サーフボードのボトム面が全部見えるアングル、まさに!当時の自分に無いサーフィン。喉から手が出る程欲しいスタイルがそこにありました。
その後、その時のフリーペーパー(この写真)を切り抜いて額に入れて部屋に飾り日々イメージしてたのを思い出します。
25歳で、メインズをオープンした時のにその写真をSHOPに飾っていたのを記憶にあるユーザーも結構いるんじゃないかな…?
そんなこんなで、俺のサーフィンに多大な影響を与えた「MP」のメモリアルボードを作りました。

ルックスは、このカービングの写真の「ハル/エッグ」ボードに近いアウトラインを、私TO個人のインスピレーションのままのカーブラインで(実際のボードとは全然違います)…


本来のハル/エッグ ボードの定義は100%無視!

あくまでも、私TOが普段サーフィンしてる波(遠州灘)で、MPのアプローチ(描いていたライン)を、私TOが今まで培ってきたサーフィンスタイルで、体感する為だけの事を考えデザイン&シェイプした、まさに!私のマスターベーションボードです。

とはいっても、ノーズは、ラウンド(エッグ)、テールもラウンド、ボトムデザインもノーズエリアはVEE、フィンも一応シングフィンベースの2+1って事で、多少は"ハル/エッグ"の定義をクリアーしてるのかなって⁈ 思っていますが…
まっ!そんな事はどうでも良く、とにかくこのボードは、私TOがMPのラインを体感する為にデザイン&シェイプしたのだが、このボードをシェイプして数週間後にMP他界の知らせをTwitterで知りショックをうけました。
そして思いついたのが、MPのディケール(顔)を作りボードにラミネートしようと思いました。
マイケル ピーターソン あなたは私の心の中で永遠に生き続けるでしょう。そして!あなたが残してくれたラインは、今も昔も、そして未来でも私が思い描くサーフィンそのものです。
ありがとうMP。安らかに眠って下さいm(_ _)m。
1952年に生まれたMPは1972年と1974年に全豪ナショナタイトルを獲得後、1973年から3年連続でベルズビーチのリップカールプロで優勝。
その他にもオーストラリアで開催された多くのイベントを制し、ラビット・バーソロミューなどと共にサーフィンの進化に多大な貢献をしました。
また、まだ未開拓だったブレイクが多かったオアフ島・ノースショアではリアルなバックドアを初めてメイクしたと言われています。
70年代前半で最も革新的なサーフィンを披露して国民的ヒーローにもなったMPでしたが、「MR」ことマーク・リチャードが現れ、プロサーキットが本格化してきた70年代後半にはコンテストを引退。
ヘロインを始めとした薬物依存に陥りサーフィンの世界からは姿を消した。
以上、一部インターネットまたは、サーフィンマガジンからの引用。
私TOもMPから多大な影響を受けたサーファーの一人なのです。
私がサーフィンを始めたのは、80年代前半のコンテストサーフィン全盛期。もちろん私も大会に勝つことこそがサーフィンだっ!
ってぐらいの感じで日々サーフィンに没頭していた。
当時の私は、大会で点数を出すために、いかに波のキワどいポジションに縦にボードを当て込めるかのみを意識してサーフィンしてました。
当然身に付けたサーフィンスタイルは、ピボットなターンのみ、レールをしっかり使ったターン系のサーフィンではありませんでした。
それを、身に染みて分からされたのがハワイの波でした。当時は毎年2カ月程冬のハワイのビッグウェイブにチャレンジしてたので、ボトムでもトップでもレールをしっかり使ったサーフィンの必要性を心と体で嫌と言う程わからされました。
要するに!ビッグウェイブや本物の波には、ごまかしのサーフィンは通用しないってこと。
それを分からされてから、ターン系の技のカービングやカットバックなどのベーシックな技を中心にサーフィンを一からやり直そうと思っていた。ちょうどその頃、サーフィン修行で行ったオーストラリアで一枚の写真に出会った。
その写真とはコレ! ↓
オーストラリアのサーフィンフリーペーパーの「トラックス」に、"MP"のこのカービングが見開き一面に載っていました。
これを見たとき体に電気が走る程の衝撃が走りましたね!
波に対してレールがビシッと食い込んでいて、サーフボードのボトム面が全部見えるアングル、まさに!当時の自分に無いサーフィン。喉から手が出る程欲しいスタイルがそこにありました。
その後、その時のフリーペーパー(この写真)を切り抜いて額に入れて部屋に飾り日々イメージしてたのを思い出します。
25歳で、メインズをオープンした時のにその写真をSHOPに飾っていたのを記憶にあるユーザーも結構いるんじゃないかな…?
そんなこんなで、俺のサーフィンに多大な影響を与えた「MP」のメモリアルボードを作りました。
ルックスは、このカービングの写真の「ハル/エッグ」ボードに近いアウトラインを、私TO個人のインスピレーションのままのカーブラインで(実際のボードとは全然違います)…
本来のハル/エッグ ボードの定義は100%無視!
あくまでも、私TOが普段サーフィンしてる波(遠州灘)で、MPのアプローチ(描いていたライン)を、私TOが今まで培ってきたサーフィンスタイルで、体感する為だけの事を考えデザイン&シェイプした、まさに!私のマスターベーションボードです。
とはいっても、ノーズは、ラウンド(エッグ)、テールもラウンド、ボトムデザインもノーズエリアはVEE、フィンも一応シングフィンベースの2+1って事で、多少は"ハル/エッグ"の定義をクリアーしてるのかなって⁈ 思っていますが…
まっ!そんな事はどうでも良く、とにかくこのボードは、私TOがMPのラインを体感する為にデザイン&シェイプしたのだが、このボードをシェイプして数週間後にMP他界の知らせをTwitterで知りショックをうけました。
そして思いついたのが、MPのディケール(顔)を作りボードにラミネートしようと思いました。
マイケル ピーターソン あなたは私の心の中で永遠に生き続けるでしょう。そして!あなたが残してくれたラインは、今も昔も、そして未来でも私が思い描くサーフィンそのものです。
ありがとうMP。安らかに眠って下さいm(_ _)m。
Posted by TO at 05:17│Comments(0)
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